たぶんこの娘は俺のこと好きなんだよな、と云う淡い期待をどこまで確信していいものか迷っている。
彼氏居るの? のような軽いジャブから始まって、当たり障りがない程度ではあるけど感触の良い会話や、人数で酒を飲んだときにいつの間にか俺の隣で飲んでる位置取り、好きな音楽の話をした翌日貸してくれるCD。これらの全てを勘違いと切り捨てるのは俺にとってちょっとばかり困難だ。
年の瀬も迫った月曜日。粉飾もここまで来ると職人芸と評判の、厚着天ぷらうどんを食堂ですすっていると、入り口にトモコの姿を発見した。向こうも俺を発見したようで、俺と同じメニューをトレイに乗せて近づいてくる。
「おつかれー」
「おつかれー」
別段俺も彼女も疲れてなどいないが、こんにちはと挨拶するのも他人行儀な感じ。どうも背中の痒くなるような距離感だ。
「七味要る?」
「あ、ダメ、辛いの苦手」
「へえ」
それこの前も教えなかったっけ? と、トモコが口を尖らせる。それは俺が君のパーソナル情報を余すところなく把握していないと不満だぞと云う意味なのかね。
「うどんに七味入れないってことは、ラーメンにコショウも入れない?」
「うん、辛いから」
「じゃあ、あれだな」
「どれなの」
「クリスマスに白くてでかくて甘いもんでもい」
「あー、甘いのも苦手」
一緒に食おうか、と言いかけたところで言葉の先っぽを刈られた。俺の表情を見たトモコが『しまった』と言わんばかりの顔をする。
「あ、あー、ちょっと、待って、違う」
何がどう違うんだろう。トモコが酷く慌てているのを見て、何故か俺も動揺する。
「あ、いや」
「なに?」
「ああー、白くてでかくて、えーと、あれだ、豆腐でも作って食わないか」
「豆腐?」
「う、ん。豆……腐?」
答えた俺も質問形式だ。確かに白くてでかくて甘くない食物の選択肢なんて多くはないが、フォローにしても必死かつユニークすぎじゃないか。そもそも豆腐って個人が簡単に手作りできるのか。
向かい合った俺たちの間に流れる奇妙な沈黙を破ったのはトモコの方だ。
「じゃあ、手作り豆腐で湯豆腐と冷奴食べよう! いつ作る?」
「今週末はどうよ」
『今週末』の単語にぴくりと頬を奮わせるトモコ。
「週末って、イブイブだけど」
あ、やばい。NGサイン。
「あー、いや、忙しかったらいいんだ、デートとか」
「ないよ」
怒ってるようで怒ってないような、しかし決して喜んでも笑ってもいなさそうな、どうも感情の読みづらい語調と表情でトモコが言う。
「そっちこそ大丈夫なの。デートとか」
「俺もない」
「じゃあ、いいよ」
俺の心境をもう一度繰り返しておこう。
たぶんこの娘は俺のこと好きなんだよな、と云う淡い期待をどこまで確信していいものか迷っている。
話の頭から今まで、俺の予感は1ミリ程しか前進していない。
それにしても豆腐って何だ。なんなんだ1分ぐらい前の俺。
そして当日。
この日までに俺の重ねた苦労を書くだけで長編小説の1本も書き上がりそうな勢いだが、それなりに格好が付くまでそれは結構な量の大豆と精神力を消費したことだけ記して省略する。
トモコは湯豆腐なら日本酒でしょ、と四合瓶を携えて俺の部屋にやってきた。
早速台所に招き入れ、水を張ったボールの中で笊から豆腐が誕生する瞬間を披露する。トモコは感嘆して黒目の多い瞳を輝かせた。実際、この豆腐は今までで一番良い出来映えで、いかにも旨そうだ。(夕食夜食が3日続きで皆豆腐じゃなかったらもっともっと旨そうなんだろう)
切った豆腐を皿に盛り、テーブルについて食べ始める。
しかし、冷奴と湯豆腐で日本酒って若さがないな。
「でも、豆腐を自分で作るなんてすっごいね。見直した」
「分量さえ合ってれば味付けとか要らないし、他の料理より簡単だぜ?」
「ふうん」
浮き上がった熱い豆腐をポン酢にくぐらせ、口中で冷ましながら飲み込む。
あれ? 独りで食べてるときはこんなに旨くなかったような気がするな、豆腐。
「ねえ」
「ぅお、なに」
俺が豆腐の具合に心を奪われていると、横からトモコが俺の脇腹をちょいとつついた。そこは豆腐じゃないぞ、確かにふよふよして柔らかいけど。
「これって『私のために』作ってくれたって考えていいわけ?」
「え、あ」
予感が一挙に確信のボーダーラインを突破する。いまだ行け、行けよ俺。
俺は手元の日本酒をくくっと飲み干し、トモコの正面を向いた。
「うん。食べさせたくて、作った。プレゼントみたいなもん」
「そう」
「あと」
「なに?」
「できればその、来年も、一緒に」
「豆腐を食べるだけ?」
「……俺と付き合ってください」
トモコがこの期に及んで読解困難な表情で俺を見る。ここまで来て勘違いか、勘違いなのか。
「この流れだと」
「だと?」
「なんかあたし、豆腐に釣られたみたいじゃないかな」
「釣られてくれよこの際」
読解困難から一転、トモコは俺の好きなはにかみ顔をしながら身を乗り出し、ちょん、と俺に口づけた。
キスは豆乳の香りがした。