005 So be it

 日記の書き出しは、確かこうだったと思う。「結局はお義理やお情けの二番手よりも、俺は一般人でいようと思った」。

 大学三年のクリスマスイブ、そんな人間の傍らに女性の笑顔はもとより、なけなしの知己と街に繰り出す気力すらなく、俺はへそ曲がりにも、自転車で近所の神社を詣でた。
 少しだけ殊勝な気分になった帰り道、出来過ぎなことに、年老いたシスターが、大きな風呂敷包みを背負っているのを見かけた。彼女を少しだけ追い越したところで、ブレーキが甲高い悲鳴を上げた。
「婆ちゃん、荷物、持ってってあげようか?」
 シスターは、唐突な申し出に面食らって、首を横に振った。折りしも当時、老人相手の親切を装った窃盗が新聞沙汰になっていた。けれども、さすがは聖職者、警戒しながらも、無下に断るのも寝覚めが悪いといった風。
「せっかくクリスマスなんだしさ、運ぶよ」
「…そうですか、ありがとうございます」
 俺が精一杯の爽やかさを込めて微笑むと、とうとうシスターは根負けして、従者の役を任せてくれた。当然、俺が車道側を歩く。
「婆ちゃん、今幾つ?」
「十二月で七十六になりました」
 この機会に、俺は積年の疑問をぶつけてみることにした。
「…戦争とかも、あった訳だよね?」
 戦争。野球の「ストライク」は「よし」、「ボール」は「だめ」、「カレーライス」は「辛味入り汁かけ飯」と言わなければならない時代にあって、キリスト教を奉じることは、無謀の一言に尽きたはずだ。
 そんな俺の考えを見透かして、シスターは若かりし日々の艱難を懐かしむように笑った。
「ありましたよ。ふふ、家族にも反対されましたが、修道院を四度も行ったり来たりして。私、若かった頃、背が高かったから、ツリーの飾りは全部させられて」
「そうなんだ…。あ、ごめんね、このチャリ、ケツにも篭がついてて、二人乗り出来ないんだ」
 話に夢中で、シスターが結構な早歩きを強いられていることに、今更になって気付いて詫びる。
「それは…ふふ…」
 するとシスターは、先の宗教者の顔でではなく、少女のそれで、にっこりと微笑んだ。
「子供の頃、私にもボーイフレンドがいましてね。プレゼントだって、蝉を貰いましたよ」
「…セミ?」
「はい、蝉」
「あははははは! 何で蝉?」
 俺の馬鹿笑いに、シスターは淑やかな笑顔に、僅かに憮然の色を混ぜた。
「だって、子供の時の話ですもの。その方も入れて二人、仲良しの方がいらしたんですけど、どちらも戦死しましたよ。一人は海軍、一人は陸軍…」
「…そっか」
 それを聞いて、俺は笑うのをよした。どんな人達だったのだろうかと想像するのも不遜なような気がして、英霊の冥福を祈るに留め、俺が彼らにそうすることと、彼女が俺に彼らを重ねて見ることの、縁という奴の不思議さに、心の中で首を傾げた。
 商店と喫茶店の前を過ぎると、四辻にぶつかった。左に折れれば、目指すミッション系女子校だ。当然、部外者は中に入れない。風呂敷包みを手渡す俺に、シスターは深々と頭を下げた。
「貴方は、まるで神様か天使みたいですわ。私、○○(洗礼名)、××(本名)と申します」
 言われてみれば、まだお互い名乗り合っていなかった。俺は自分の姓を告げた。
「下のお名前は、何さん?」
「カツトシ。『勝利』って書くんスけどね。つくづく両親の期待が身に染みる名前だよ」
「ふふ…そうだ、勝利さんはこれをお持ちですか?」
 自身の懐を探ったシスターが俺に見せたものは、木製のロザリオだった。はっきり言って安物臭い。だが、皺だらけの掌に乗せられたそれは、一種の風格を備えていた。
「差し上げます。どうぞ」
「え、いいの? でも、貰っちゃったら、婆ちゃんのは?」
「あります。どうぞ」
 シスターは断固として譲らない。それならばと、俺はありがたく頂戴することにした。
 去り際、彼女は俺にこう言った。
「きっと貴方は、ずっと勝てます」

 しかし、そうは問屋が卸さなかった。都落ちのどさくさで、あのロザリオはもう見当たらない。それでもまだ、それでもまた、こうして彼女を思い出す。
 そんな聖夜の過ごし方は、少なくとも敗北では、なるほどないのだろう。

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