014 性夜または抵抗的悦楽

クリスマス。日本で過ごす悲しき独り身としては、資本と消費に彩られた、一大消費祭の様にしか思えない。デパートではクリスマスセール、テレビのニュースではクリスマス商戦。街へ出れば色とりどりのツリーや飾り。店の中ではあの忌々しい定番曲の数々―その最もたるは、マライアキャリーの「恋人達のクリスマス」。あの底抜けに明るい曲も鈴の音、独り身にとっては鎮魂歌にすら聞こえる始末だ。大学生協の有線でさえ、マライアが流れてくる始末! 今年位は、あの忌々しい鎮魂歌を聞かずにクリスマスという消費祭を迎えたかった。

「現在の日本では、特にキリスト教とは関係なく単なるイベントという認識が広まり、カップルが一緒に過ごしたり、プレゼントを交換したりする日のようになっている感がある。子供にとってはサンタクロースがプレゼントを持って来てくれる嬉しい日となっている。
(Wikipediaのクリスマスに関する頁)。

嗚呼、消費とカップルの祭典か。どの本での指摘かは忘れたが、広告や雑誌記事、手レビの特集が、どんなにロマンティックに着飾ろうとも、カップルで過ごすクリスマス―特に高級ホテルへの宿泊に関する特集の中で、それは暗黙の了解として明確化される―には、性交渉に到るという結末が内包されている。昔、仲間内で次の様な寓話が流行ったもの だ・・・「(ホテル街)のある鶯谷は、クリスマスには街全体が揺れる」と。

毎回の様に忌々しさと、苛立ちを覚える性夜に・・・もし、私も幸せで肉欲的な一夜遅れることになったとしたら、渋沢龍彦が『エロティシズム』の中で指摘した「胎内回帰願望」―ガストンの提唱するところの「ヨナ・コンプレックス」―と、女陰という「口」、または胎内という悦楽の羊水であり、恐怖を伴う暗黒の海でもある、女性の胎内に回帰する事で生じる男性の恍惚・・・いや、エロティシズムとでも言うべき、「それ」を称揚してやろう。散々苛立ってきた消費のイデオロギーに対して、少しでも抵抗を示したい。「恋人と過ごす幸せなクリスマス」という幻想を安易に享受したくはないから。そして今年も苛立つ消費の祭り。鶯谷が揺れる性夜が近づいてくる。今年は独りで飲んだくれるか・・・
季節感やトレンディから解放された、下町の大衆酒場で。

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