「サンタさんが子供に姿を見せないのはね、ちゃんと理由があるのよ。サンタさんはね、神様から預かったプレゼントを、子供たちに配っているの。自分は一生懸命働いて、でもこれは神様からの贈り物だから、神様に感謝してほしい。サンタさんはそう思っているのよ。だから、自分は姿を見せないの。」
少年は、ボンヤリと思い出しながら、公園のベンチに腰掛けていた。もう2時間もそうしている。冬の日はもう落ちかけて、空は群青色に染まっていた。
広場で野球をしていた同級生達が、一人、また一人と姿を消していく。
ビルの影にぼやけていた最後のオレンジを見送って、少年は立ち上がった。
少年の、数少ない母親との記憶。
その中でも、一番鮮明に残っているのは、サンタクロースのお話だった。
一生懸命働いているのに、決して見返りや感謝を求めようとしないサンタクロースが、とてもかっこよく思えた。
サンタクロースになりたい。
そう思っていた。母親は、「ずっと優しい気持ちでいたら、なれるかもね」と言った。それも遠い記憶の彼方で、冬の夕日のようにおぼろげだが。
その母親は、彼が5歳の時に他界した。生まれた時から父親がいなかった彼を、母方の叔父が引き取った。弁護士という立場上、世間体を気にしたのだろうと、人々は噂した。少年はそれから、今日で3度目のクリスマスを迎える。
8歳の少年は、とっぷり日の暮れた道を、独りで歩いていた。
叔父は彼に、今日はクリスマスパーティーを開くから、それが終わるまで帰ってくるなと言った。彼も、そんなパーティには興味がなかった。
とにかく彼の心は躍っていた。立ち止まって空を眺め、耳を澄ました。トナカイの鈴の音が聞こえてこないか、と。
今日は、クリスマス・イブなのだ。
サンタクロースが大活躍する、年に一度の日。
5歳のクリスマス以来、彼の枕もとにサンタクロースがプレゼントを置いてくれることはなくなった。でもそれは仕方がないのだ。サンタさんは忙しいのだから。彼は、サンタクロースが、今も子供たちのために一生懸命働いているのだと思うだけで、誇らしい気持ちになった。
彼は、ふと道の脇に目をやって、そこになにかが落ちていることに気づいた。それは野球のグローブだった。しかも新品でピカピカの。すぐに、さっきの同級生中の一人の持ち物だとわかった。
彼は、素晴らしい宝物を見つけた気分になった。
それは、グローブが自分のものになるからではなかった。自分にも、このクリスマスに、やるべき仕事が与えられたのだ。サンタクロースと同じように!
彼は、グローブを胸に抱えて走り出した。
同級生の家は、公園からすぐの場所にある団地の一階だった。少年は息を切らして、同級生の家のベランダの前にたたずんでいた。
問題は、どうやってグローブを届けるかだ。
玄関から、落ちてましたと言って届けるわけにはいかない。サンタクロースは子供に姿を見られてはいけないのだ。
結局、ベランダの柵をよじ登って、ボイラーの上にそっと置くことに決めた。
足をかけ、手に力を入れると、柵がギシギシときしんだ。グローブを左手に抱えているので、右手しか使えない。よじ登るのは一苦労だった。額に汗が滲んだ。少年は、その汗が誇らしかった。
その時、急に目の前が明るくなって、光の中にあの同級生の顔が出現した。
しまった、と思ったが、身体は柵にしがみついたまま動かなかった。
「あ!パパ!コイツだ!僕のグローブを持ってる!」
同級生は、甲高い声で、家の中の父親に呼びかけた。
ヌッと顔を出した男の顔は、怒りを満面にたたえていた。
「オマエは!あの卑しい弁護士のとこの子供だな?」
少年は、答えることができなかった。
「息子のグローブを盗んだのか?」
ちがう、届けにきたんだ、と言いかけて、彼は口をつぐんだ。言ってはいけない。サンタクロースは─
そこまで考えたところで、持っていたグローブがサッと奪い上げられ、右の頬にすごい衝撃を受けた。少年は、ベランダの下の芝生に倒れこんだ。
「二度とこんなことするんじゃねぇぞ!」
怒号と共に、ピシャリと窓が閉められる音がした。
少年は、仰向けのまま、暗闇に取り残された。
ぶたれた頬が、ジンジンと痛んだ。仰向けのままの少年の中には、怒りやら、惨めさやら、マイナスの感情が次々に湧き出した。
しかし、それらはすぐに消えてしまった。
自分は、感謝もされず、本当のことも知られてはいない。サンタクロースのように、ちゃんと仕事をやり遂げることができたのだ。その誇らしい気持ちだけが、彼の心を満たしていった。
自分は、サンタクロースにはなれない。でも、ちょっとだけ、サンタさんのお手伝いができたかもしれない。
「お母さんも、褒めてくれるかな…」
ポツリと呟いた少年の潤んだ瞳には、四角いオリオン座が、サンタクロースの乗るソリのように見えた。