「なんでこの1台だけセキュリティの設定が高いのさ……」
クリスマスイブの夕方。
定時を少し過ぎて取りかかった残り1件の仕事はちょっとしたファイルの差し換えで、大した事はないだろうとタカをくくっていたのが災いした。
使用するツールの下調べをしてメールで飛んで来てた作業手順の確認と整理をしてそれから実作業に取りかかるとすると、軽く3時間はかかるだろう。
イブだからと言って別に何の用事があるわけではないけど、皆が浮き足立ってそそくさと帰る中の残業はあまりイイ気分じゃない。
まあ、前の日のうちに全ての作業についてちゃんと段取りの確認をしなかった自分が悪いのだから仕方がない。諦め気味に小さな溜息をつき、メールで貰っている手順書の確認に取りかかろうとした。
と、背後からかかる声。
「ねえ樫本、そろそろ困ってない?」
振り向くと、眼鏡のフレーム、ジャケット、ブラウス、長目のタイトスカートからストッキングに至るまで全てを濃紺と黒で整えた独特のセンスに身を包んだ女性の姿。
「参ったよ、最後の1個だけセキュリティレベル高いだもん。こりゃなかなか小粋なプレゼントだ」
「樫本の作業予定見たら最後にハマリそうな順番に組んでたから、そろそろ困るかなー、って。はいこれ」
手渡される数枚の紙。
「私が前に同じ処理した時に作った手順書。必要なところだけ読みかえればあとはだいたいわかると思うから」
「うっわ、凄い助かるよこれ」
「樫本がそこで困るのはまるっとお見通し」
それちょっと古くないか、と思ったが口に出すのはやめておいた。
「よーし、完了と」
3時間を見積もっていた作業は田中の資料によって1時間弱で終了した。
差し換えたファイルが円滑に表示されることや細かな動作の確認を終えてようやく顔を上げると、フロアに居るのは僕だけになっている。
3時間残業が1時間になったところで、結局お残りが僕一人と云う現実に変わりはないらしい。
と、ドアを空けて入ってくる人物がひとり。
「あれ、田中まだ帰ってなかったの」
「樫本、そろそろ作業終わると思って。はい、お疲れ様」
手渡される缶コーヒー。
「サンキュ。丁度喉乾いたところだった」
「樫本がコーヒーを欲しがるタイミングもまるっとお見通し」
そのフレーズは微妙に古いぞ、と再び思ったがやはり口に出すのはやめておいた。
「田中のお陰で助かっちゃったから、なんか仕事残してるんなら手伝うぞ?」
同類互哀れむだ。
「んー、でも、こっちも今しがた終わったところだから」
「そうか、じゃあ、1個借りにしとくか」
「ね、その借り今返そうよ」
「今?」
「そう、今。これから樫本が私と食事するってのはどう?」
「暇なことは暇だからこっちは構わないけど、今日イブだぞ? 入れる店がないんじゃないか?」
質問した僕の顔を笑顔で見返し、田中が答える。
「えへへ、馴染みの居酒屋さんに席を取ってもらってるの。1人くらい増えても平気」
「了解。じゃあ、そこは僕にご馳走させてよ」
「やった! じゃあ、さっさと着替えて会社出ようよ」
慌ただしく後片付けを済ませ、会社を後にする。
「セコム完了、鍵完了。んじゃ行くか」
外はもう真っ暗で、地面には薄く雪が積もっている。
ポケットに手を突っ込んで駐車場に向かって歩き出した僕の腕を、田中がそっと横から掴んだ。
「え、え、なに、田中」
「あのね、樫本」
至近距離で僕の顔を見上げながら田中が言う。
「樫本の今日の作業日程を私が何故か知ってるかだとか、残業が同時に終了する偶然だとか、私がイブの夜にわざわざ外で一人御飯食べる女だろうかだとか、さあ。樫本は『お見通し』してくれてもいいんじゃないのかな?」