024 蜜の味

全くもって迂闊だった。

クリスマスなんてイベントは存在しない、存在しないと毎日心に念じ続けていたおかげで、ガチで忘れかけていたらしい。仕事帰りにいつも通り寄ったカフェは、見事にカップル一色。いつも通りコーヒーを飲みながらサンドイッチをパクついている僕の周りで、奴らは揃ってクリスマス限定のフードメニューを頼んでやがる。そう、カレンダーが指しているのは、紛れもない24日。日が沈んでから3時間も経ってから、今日が何の日だったか気づくなんて、どれだけ自分は間抜けなのだろう。いっそのこと、全く気づかぬまま過ぎ去ってくれれば良かったのに。

「……どういうつもりよ、ちょっと?」

ジングルベルのBGMに混ざって、隣のテーブルから何やら不穏な女の声が聞こえてきた。顔を上げてみると、座っているのは自分と同い年くらいのカップルだ。シャンパングラスを仲良く2個並べているところからしてもデートに間違いない。だけど、女はなぜか今にも泣きだしそうな顔をしていた。

「どうもこうもねえよ、仕方ないだろ、仕事なんだから」

男のほうも苛立ったように声を荒立てる。僕は、なんとなくワクワクしてきた。他人の不幸は蜜の味。世の中には僕みたいに、1人淋しくクリスマスイブを迎えている人間もたくさんいるというのに、カップルで調子こいてシャンパンなんか飲んでいるからバチが当たったのだ。

「そうやって毎回、あたしのこといじめるのね」
「いじめるわけないだろ。事実を説明してるだけじゃん。お前こそ、人の話を聞けよ」
「ほら、またいじめる」
「話を聞けって言ってるだろ!」
「怒鳴らないでよ、みっともない」

事情をまとめてみると、こういうことらしい。近いうちに二人は、彼女の実家がある九州に旅行に行く予定だったのだが、彼氏のほうの仕事の都合でキャンセルになってしまった。彼女の言い分としては、その機会に彼を紹介すると両親や地元の友人に伝えてしまったのに、今更キャンセルされるのは体裁が悪い、恥ずかしいから何とかしてくれ、ということだった。
両者の間で論点がズレまくっているせいで、平行線のまま、口調だけは激しくなってくる。実によくあるドロ沼のパターンではないか。いつ話し合いが紛糾して別れ話が始まるかと、ニヤニヤしながら聞き耳を立てる。

「何でもかんでも俺のせいにするなよ。もうこの話はやめようぜ」
「何でもかんでもあたしを悪者にしてるのはそっちじゃない。どうしてあたしの気持ちを分かってくれないの?」
「だから来月の件については、謝っただろ。話を巻き返すなよ」
「あなた、あたしと結婚する気なんてないんじゃない? 他に気になる人でもいるの?」
「馬鹿言うな!」

男はガタンと大きな音をたてて立ち上がる。テーブルの上のグラスが倒れそうになるのもお構いなしに、ポケットから何か小さい包みを出して、目の前に叩きつけるように置いた。

「なにこれ?」

女は不審な表情をしながらも包みを開けてみる。すると、何層にも重ねられた包みの中から出てきたのは、一粒の大きなダイヤが埋め込まれた指輪だった。

「クリスマスプレゼント。本当は旅行のときに渡そうと思ってたんだ。一応これ、婚約指輪のつもりなんだけど、受け取ってくれるよな?」

女はしばしの間呆然としていたけれど、やがて再び泣き出しそうな顔になった。でも今度は、悔し泣きではなくてうれし泣きである。聞こえるか聞こえないかくらいの声で「ありがとう」と呟くと、愛しそうに掌に乗せて、感触を確かめるようにゆっくりと撫でる。瞬く光を湛えた銀の輪は、彼女の左手の薬指に吸い付くようにぴったり収まった。二人の顔に笑顔が戻る。

ちっ、あっさり仲直りしやがった。もっと血生臭くて面白い展開を期待していたのに。軽く舌打ちをしながらも、どこかホッとしている僕が居ることに気づいた。楽しそうにしている男女をほほ笑まし気持ちで見ていられるなんて、自分らしくないとは思うのだけど。

ま、それもアリか。1年に1度、クリスマスの日くらいは、他人の幸せを素直に祝福してあげるってのも悪くないだろう。僕は不思議と良い気分で会計を済まし、軽い足取りで店を出た。

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