旅人は道を急いでいました。日が暮れるまでにこの峠を越えてしまわねば、正月を家で過ごすことが難しくなるからです。
旅人の名前は輔次と云います。輔次は薬売りを生業としていました。輔次が先を急ぐには訳があります。長崎に立ち寄った時、割舟から泳いで朝鮮人参を手に入れた男と出会ったのです。輔次の妻や両親や子供達が待つ自分の里には、地頭にも劣らない程の大百姓がおり、きっと高値で買ってくれる筈です。そうすれば、輔次も物売りで長く家を空ける必要もなくなります。
『待ってろよ、今帰るからな。待ってろよ』
そんな一心で山道を歩いていましたが、先を急ぐ余り山を甘く見てしまったのでしょう。峠に差しかかるずっと手前で日が暮れかかってしまいました。時期は初冬とは云え、こんな時期に野宿など自殺行為です。輔次は行くもならず、戻るもならず、途方にくれながらゆるゆると歩を進めていました。
幸いな事に灯の明かりが見えました。土間であれ野宿に比らぶれば僥倖と呼ぶべきでしょう。輔次は道を外れるのも構わず、一心不乱に灯の先を目指しました。
辿り着いた灯の先は、小さな藁葺き屋でした。藁葺き屋には疲れたような親父とその息子、そして襖の向こうから聞こえる咳の音がありました。
藁葺き屋の親父は、快く輔次を迎え入れてくれました。あまつさえ、残り物とは云え鍋汁さえ振舞ってくれたのです。輔次が人の優しさに触れたのは、これが初めてではありませんが、この時ほど骨身に染みた事はありません。
汁を啜る内、襖奥の咳き込みが気になり出します。輔次は藁葺き屋の主人にそれを尋ねました。
「年寄りの風邪だで、寒くなれば当然ちゃで」
輔次が納得しかけた時です。子供が声を荒らげました。
「お母も、風邪云うて亡うなったに、じっちゃも山まで登れるけの」
余りにも縁起無い事と、藁葺き屋の主人は息子を諌めます。輔次とて薬を売っている身です。咳の具合を聞いて先が長いか短いかの判断くらいはつきます。
聞けば、咳の主は来年には御山に入れるとのこと。土間の端には背負子さえ出来上がっているのです。
「御山に入るに、穢れてる訳にいかねえものね」
輔次は思い出します。あと三度の正月を迎えたら、自分の両親も生きていれば同じ歳なのだと。
自分の村には山へ入る慣わしはありませんが、近隣の村から話を聞いた事はあります。聞けば北の北のずっと寒い地方では、逆にめでたい事なのだと聞きます。そんなに長く生きられたのだと、長生きの末、神になれるのだと云うのです。
咳き込みつつも神に近づいてゆく老人の事を思います。山に独り座り、咳き込むはさぞ辛かろうと、さぞ孤独だろうと。穏やかに神になれるなら、確かに幸せなことなのだろうと。
輔次は朝早く、藁葺き屋の家の者が起きるより早く旅立ちました。
一宿一飯の恩を忘れるような薄情な男ではありません。きちんと土産を置いておきました。今の言い方をするなら、プレゼントと呼ぶべきでしょうか。多少多目の御礼かもしれませんが。感謝を形に代えられるなぞ、早々出会えるものでもありません。
小さな根っこが一つ。これだけ申し添えておきましょう。
これは、日本にクリスマスがやってくる、ずっとずっと前の噺。
大晦日の丁度一週間前のお噺だったと、申し添えて終わりにしたいと思います。