020 休暇返上雪合戦!

黒いビジネスバックを受け取った瞬間、僕は言い知れない不安に駆られた。
耳元で囁かれた言葉のせいだ。
「合言葉を知る例の男以外には、触れさせてもいけない。上司にも家族にもだ。」
クリスマスイブを迎えた街は忙しなく、駅のショッピングモールは人の波に浚われそうで、誰も他人にはかまっていられない。
他人に聞かれないことは救いだが、こんな言葉を言われるような仕事を引き受けてしまった事に落胆する。
しかし、会社の命令を新入社員の身で断るわけにもいかない。長期休暇初日でも。
「あの、それで、僕はこれから何をすれば?」
「会社へ戻っても良いし、家へ行くのも自由だ。彼は君がどこにいても大丈夫だからね。」
「わかりました。」
軽く頷く。
どうせ、休暇中の新入社員に来る用事だ。
それほど重要ではないだろうこの男の強い笑みからしても、危険はなさそうだ。
唯一気になると言えば、何故この男が当人に渡さないのかだ。
「そろそろ時間だ。私は行くよ。彼によろしく。」
一方的に会話を切ると、男は改札口へ向かう人混みに紛れ消えてしまった。
僕は呆れて眉をしかめたが、さっさと会社へ戻ることにした。
どんな形にしろ、仕事は部屋に持ち込まないのが僕の主義だ。
会社へ向かう前に突然の呼び出しで食い損ねた昼飯を食べる事にした。
スーツの袖をめくり、腕時計を見ると時刻は2時を少し回ったところだ。
丁度、どこの飲食店も空き始める時間である。
見回せばすぐそこに全国チェーンを持つ牛丼店があったので入った。
豚肉が嫌いというわけではないが、早いこと安価な牛丼が再会されることを祈りつつ、
丼飯を食べていると、巨大な気配をすぐ傍に感じて右横を見る。
黒いスーツの袖から視線をゆっくりと上げ、僕は硬直した。
ハリウッド映画でもなければお目にかかれそうも無い、黒スーツに身を包むボディーガード然とした白人が立っていたのだ。
「ソノ鞄ヲ受ケ取リニキタ。」
男の顔をマジマジと見るが、鞄を受け渡すよう言われた男には見えない。
「今日の天気はどうだい?」
僕は、教わった通りに合言葉を投げかけながら、相手に気付かれないよう鞄にゆっくりと手を回す。
「素晴ラシク良イ天気ダヨ。」
男がニッと笑って見せたので、僕もにこりと笑う。男が油断した瞬間、勢いよく立ち上がり走り出す。
男の言った言葉は確かに正しい合言葉であり、電話口で上司から直接教わったものだ。
しかし、僕はもう一つ新しい合言葉を、鞄を受け取る時に教わっている。それも、文面で。
黒スーツが追いかけてくるのを感じながら、僕は必死になって人混みへと逃げ込む。
クリスマスイブとはいえ、黒い鞄を持った平凡な顔のサラリーマンはそこかしこにいる。
人の密度から、白人が僕を見失ったのをカーブミラーで確認し、周囲と歩調を合わせて歩き始める。
食後の運動なんて、高校以来だ。気分が悪い。
その後も例の白人やその仲間らしい男達に追い掛け回され、会社へ戻ったのは五時少し前で、分厚い雲が赤く染まっていた。
改装工事と帰宅時間が重なり、地上20階に設けられたオフィスには人気が無い。
こんな場所で襲撃されたら不味いなと、今更のように思った瞬間、後頭部に硬いものを押し付けられた。
「おとなしく鞄をよこしな。」
目の前に広がる巨大なガラス窓には、銃を突きつける男と、突きつけられた僕が映っている。
僅かに火薬の匂いがして、冗談ではないのだと悟り、緊張と恐怖で体が縮まる。
男の手が鞄へ伸びようとした瞬間、目の前の窓ガラスに大きな影が映り、盛大な音を立ててガラスが砕け散る。
「プレゼントだ!」
老人の声が響き、煙幕がオフィスに充満する。とたんに、目が痛み、気持ち悪くなってその場に屈む。
頭の片隅で、CSガスの名前が浮かんだ。
何が起きたのか解らずに、その場で鞄を抱きしめて座り込んでいたら、突然声を掛けられた。
「大丈夫かい?」
老人の声に、痛む目を開く。そこには、赤ら顔に白い豊かな髭を生やし、赤い揃いの服を着た老人がいた。
手には1m弱のツリーが握られているが、その先端が赤く染まっている。
「目が痛いし、気持ち悪いです。」
素直に答えると、赤ら顔の白人は苦笑して謝ると、僕の抱きしめていた鞄に視線を移す。
この男だ。間違いない。
「今日の天気はどうだい?」
「もちろん、ホワイトクリスマスにきまっとる。さぁ、鞄を開けておくれ。」
老人の言葉に大きく頷き、鞄を開けると、中から冷たい空気と白い光が現れて空へと登っていった。
老人に視線を移すと、彼は人好きのする笑みを浮かべ感謝すると、窓に横付けしたソリに乗って空を駆けていった。
鞄の中を見ると、特別ボーナス明細書が入っていた。見下ろせば、男が気絶し横たわっている。
闇色の空を背景に砕けた窓から雪が吹き込んで、とても寒かった。

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