著書『韓国が世界に誇る ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録』でご存じの方も多いかと思われる坂眞(ばんまこと)さんのWebサイト、依存症の独り言はその主張の力強さに見どころが多く、好意的に読ませていただいているサイトの一つである。
しかし、7月8日付エントリ、独善とデマに満ちたブログは許されないにちょっと看過できない意見の相違があったので拾ってみる。
該当エントリの肝はここだ。
コメント欄を設けないのはブロガーとしてマナー違反だと思っている。
そんなマナーなど、僕の知るインターネットの中にはどこにも存在しない。
確かにコメント欄を解放すると云う姿勢は、読み手に対して一定の説得力を持ちうるだろう。
しかしながら、コメント欄を解放するという行為は書き手の(批判記事も含めた)言論の正しさを担保することも否定することもしない。
コメント欄のないWebサイトが批判記事を書くのはマナー違反だなんて、Webでものを言う行為はずいぶんと敷居が高くなったものだ。
こんなもんは読み手が判断材料にすればいいのであって、書き手が余所に向かってマナーだなんだとがなり立てるような種類のことではない。読み手の判断力を過小に評価しちゃいないか。
ところで。
コメント欄というものは、放置していると悪質な自動巡回ロボットによるコメントスパムや家内制手工業よろしくコツコツと手動で書き込みを頑張るアダルトサイトの宣伝、その他罵詈雑言等であっと云うまにあふれかえってしまう。
これをある程度秩序を保った状態で維持するには、当然『コメント欄を維持するための人的コスト』を割かなければならない。
「依存症の独り言」のようにコメントを承認制にして掲載の可否を選択する、と云う手法もそのひとつだろう。
設置したら設置したで手間のかかるものなのだ。
坂さんの論法に従えば、コメント欄の維持にかかる(物的人的)コストを負担できない書き手が批判記事を書くのはマナー違反と云うことになるらしい。
ご自身はコメント欄への反応を放置する場合があることを「時間がないのでご了承いただきたい」としているのにである。
自身の「時間の関係」はご了承を、と云いつつ同じ「時間の関係」でコメント欄の設置維持管理が困難であるかもしれない他のコンテンツ作成者についてはマナー違反と糾弾するその姿勢には矛盾が有りはしませんか。
承認制のうえ、疑問を投げかけても書き手からの反論も釈明もない場合があることを了承しろと主張するコメント欄をぶら下げておく事は、意見反論のためにメールアドレスを掲げておくことと比較してそれほど明確に公正なものなのだろうか。
僕に言わせればそれこそまやかしだ。
Webサイトに何を書き、更新にどんなシステムを採用し、そこにどんな機能を取捨選択するかは(法に抵触しない範囲であるならば)まったく制作者の自由だ。
もっぺん書くが、コメント欄はあくまで機能の一つであり、ユーザがそれを使う、使わないの選択はその言論の正しさを担保するものでもなければ否定するものでもない。
リンク先エントリーで主張されたような、作り手が選択する自由を狭める奇妙なマナーをはびこらせるような言葉を僕は嫌悪するし、できれば止していただきたいものだと思う。
それはマナーじゃなくて自分ルールと呼ばれるものだ。
さて。
この記事にどういう感想を持つかはまったく読み手の自由だ。
当サイトではコメント欄の機能を設けていません。僕の批判記事は果たしてマナー違反と感じられますか。
ああ、ちょっと補足しておくと、僕はリンク先記事で批判されているいくつかの「ソースの提示をしない書き飛ばしサイト」を擁護しようなどとはさらさら思っていません。
「コメント欄のないWebサイトが批判記事を書くのはマナー違反」と云う坂さんの主張1点についてのみ「そりゃおかしい」と言っているのです。