うちのばあさん。
父方の祖母は父が小さいときに死んで、なので今生きていて僕と血の繋がった祖母というのは母方の人だけと云うことになる。
この数年、婆さんはすっかり頭が老いてしまって(早い話ボケが入って)、娘や孫の顔は半分わからなくなるし、年金を下ろしてきては家のどこかに自分で隠して自分でわからなくなっちゃって人のせいにするし、その他諸々で年寄りを独り置いておけないから、と実家に入ったうちの父母をいたく消耗させている。
頭は弱くなったものの胃腸はがっつり丈夫で、下手をすると頭が弱ったままもう10年ちょっとくらいは生きるかも知れない。
彼女がいまい来ている人生の終わりの方は、爺さんが湯上がりに倒れてそのまま逝去したのとあまりに対照的で、人生ってのは綺麗に済むばかりじゃないし残酷なものだ、なんて思う。
アルカニック症候群の11月4日更新を見て、「イイ話だなー」ってしんみりするのと同時に自分の事情を振り返ってこんなこと考えてみた。
【小人閑居シテ駄文記ス】から見つけてきた笑うところじゃないのに笑っちゃう掲示板が即死級の面白さだ。
好みによって当たり外れはあるけれど、ツボに入ったときの破壊力はただごとではない。
IEを使っている人は普通にクリックで画像拡大、タブ型の人は「右クリック→リンクを新しいウィンドウで開く」から画像を開くと新しいタブに画像が表示されます。
衣食住足りて。
誰がためにかりんは鳴るのかりんこさんがある種独特の環境下で生活していたのを以前の更新で拾ったように思うのだけども。
その、独特の環境下から遂に引っ越しをなさったようで、Webサイトを書く人読む人と云う以上の接点がない人ながら、なんだか妙に安堵してみたり。
で、そのかりんこさんがしたためた今回の更新の結びが、僕の思いこみかも知れないけどすごく穏やかな書き上がりになっていて、住処が落ち着くと人は穏やかに(今までが荒れていたわけではない)なるものだなあ、と勝手に頷いたりしている。
ちいさな約束。
特に守ることを強制されたわけでもない、約束をした側だって覚えていないかも知れないような小さな約束を守れなかったことはないだろうか。僕には度々そんなことがある。
大人になれば、と云うフレーズがこんな時に相応しいのかどうかは怪しいが、約束を守って上げられたら喜ぶだろうなと思いながら果たせない約束を重ねたり忘れたりしながら、ひとは大人になるんじゃなかろうか。
さて、真夜中のタクシー、11月4日~5日付けに、そんな小さな約束が「守られた」話があって、知らず知らず頬が緩む。
こう云うのを「いいな」って思えるうちは僕もまだ捨てたもんじゃないのかな。